第1回You&Macコンテスト作品ギャラリー
作文部門

作文部門は、「あなたとMacの関係を600文字以内で自由に表現して下さい」というテーマの元に作品募集を行いました。
作品のうちいくつかは、字数制限をオーバーしておりましたが、発表会では600文字以内に編集したものを発表し、公平を期しました。
ここでは、オリジナルの通りの形で公開させていただきます。

桂谷耕悦さんの作品

私とMacとの出会い。それは25年程前になるでしょうか?
大学を卒業して故郷のキャノンの事務機器販売会社に就職した私。
当時は、小型で液晶画面が1行分しかないワープロが発売され始めた頃、一般の人がパソコンを持つなんてあり得ない時代でした。
ある時、私のお客さんにMacをデモ(当時キャノンはMacを販売していました)する事になり、私も同行し初めてMacを見ました。
専用のショルダーケースから出てきたものは、画面だけ?と思える機械。
キーボードもなく、ボタンが1個だけの小さな物(マウス)で全て操作していく。
その時見た「Mac Paint」すごく良く出来たソフトでしたね。
「なんだ、このコンピューターは?すごく面白いそう!」
お客さんよりも、私が気に入ってしまいました。
その出会いから6年程たって憧れのマックを買いました。
SE30の方が拡張性がある、と言われましたが価格の面でSEになりました。
なにしろFDドライブが2基付いた展示品だった物をだいぶ安くしてもらって50万円、一緒に買った音楽ソフト「パフォーマー」が10万円、合計60万円の私にとっては高〜い買い物でした。
店員さんに「Macを持てるなんて羨ましいですね」と言われたのを覚えています。
それ以来、私はMacフリークです。
私のMac履歴は、SE、Performa、初代imac(ボンダイブルー)そして今のimac。
今でもSEは捨てられずに専用ショルダーバッグに入れて持っています。
何しろ憧れの一体型のあのデザインですから。

狩野雅代さんの作品

● 自分が普段Macを使ってやっていること。
・ポスター、フライヤーなどの平面デザイン。
・ケースなどの小物の立体デザインの製図をする。
・WEBデザイン
・インターネット、メール、ブログ
・表計算
など…。

● Macと出会ったきっかけ。

「1秒でも早く帰れる方法」


それは,11年前くらいに表参道にありますデザイン会社に勤めていたころでした。
まだインターネットもそんなに需要とされていない頃です。

会社にはリースのMacが3台くらいありました。
私のデスクの隣にはデザイナー用として、確か… 最新のパソコン、Power Macintosh 8600がありました。

でもほとんど内部のスタッフは使っていませんでした。

仕事の内容はアミューズメントのUFOキャッチャーなどの中に入れる商品の企画生産の仕事で、
例えば、キャラクターやアイドルの版権を使用して貯金箱やポーチなどの雑貨を作ります。(ちなみにアイドルは安室奈美恵、広末涼子)

版権使用するにあたり、デザインの申請をしないとなりません。
ポーチを線画に描き→モノクロコピー→カラー展開で色を塗る→各5部カラーコピーをとる。

この作業の行程でデザインのラインが少し変っただけで全部やり直しでした。
アナログ方式でカラーコピー代はかかるは、商品点数が多くなると毎日残業(タダ残)終電、徹夜の繰り返しでした。
ストレスも溜まると忙しいのに深夜に遊びに行ったり…。
すると「睡眠不足」に陥りました。


半年も過ぎると「このままだと身体を壊すな。遊べないし…。」
「どうにかして、1秒でも早く帰れる方法はないのだろうか…。」と思うようになりました。

ある日、もしかして?! と左隣に静まりかえっていた虹色のリンゴがキラリ光ったような。
パソコンを利用したら色付けや修正が早いのでは?と思いました。
社長に相談してイラストレイターの勉強に2日だけ行かせてもらいました。

それからです。無理矢理イラレを勉強しながら仕事で使用して行きました。イラレは5.5Jの時でした。

もちろん、暫くは早く帰れるどころかよりハードに。何度も爆弾マークと会っていましたね。
でもなんとか使い切る、「1秒でも早く帰って遊びたい」の一心でした。(笑)
当時の作業内容としてイラレは5.5Jでも大活躍でした。今では考えられませんが…。

御陰さまで業界内でも申請書や企画書をいち早く提出し、イラレで描いていたのでスッキリしていて奇麗でした。



● Macを使っていて最も感動した瞬間。
私の使わないソフトでもゆうMUGさんの研修会で聴いたりすると感動します。


● Macが自分の人生に与えた影響。
アツいMacユーザーに出会えたこと。

長野容子さんの作品

初めてMacと出会ったのは、一体型の9インチ白黒画面MacintoshSE。約20年程前の冬でした。
とあるアーティストのワールドツアー舞台設備のコントローラーとしてセットで引き取られてきた物。MacでMIDI信号を出し一旦光信号へ変換、ステージまで光ファイバーで送り、光信号をモーター駆動信号に変換し水銀灯の光をレーザー光線のように見せる、という舞台装置でした。

レーザー光線を用いるには200Vの電源と冷却用の「かけながしできる上水道」が必要だったため、もっと手軽にレーザー光線風に見せられるこのシステムは当時目新しく、プロモーションビデオに残っているのは四人囃子復活ライブで見る事ができます。
このシステムに付いてきたMacが呼び水となり、当時の社内はにわかにMacブームがやってきました。MiniCAD(当時)を使い舞台設置図を作る等、現在ではごく当たり前のような事が主流となりました。

しかし当時、Macintoshと言えば借金トッシュと揶揄される程高額で自分を含め何人も借金トッシュユーザー。今日格段に安くなってありがたい限りです。

PowerBookが一台3Kg、出張先で通信するにはアナログモデムやカプラーを使って公衆電話などからダイヤルアップなんて事も当たり前だった頃からすると現在
の無線LANやWi-Fiを使って手軽にブラウズできるような今日は本当に夢のようです。


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